恋のかけひき

恋のかけひきという言葉はドン・ファンという言葉と同じように、あまり良い印象を我々には与えません。「あの人の恋愛はかけひきだらけだ」というような批評は、ぼくたちにその人の恋愛の誠意のなさを感じさせるものです。
たとえば――こんな例はよくアメリカ映画やユーモア小説にもあるのですが、ある財産家の息子と結婚するために、若い娘が色々とカケヒキをやって、遂に金的をしとめるというお話――こういうお話は映画のスクリーンでみていると如何にも罪のないように作られているので、ぼくたちは声を立てて笑って観ていられるのですが、もし実際に、そういうカケヒキをする娘に出会ったらどうでしょう。
ある人はなかなか可愛い小利口な娘だと言うかもしれませんが、他方、なにか恋愛の純粋さに欠けていると考える人たちも多いにちがいありません。
手れん、手くだ
まして、恋のかけひきなどと申しますとまだ良いのですが、これを「手れん、手くだ」と言い換えますと、愛情ではなく、愛情以外のもの「金銭とか物質とか」を術策を弄して相手から獲るための功利的なニセの恋のような感じをぼくたちに起こさせるものです。
とにかく、かけひきをする恋愛は、あまりいい印象を当事者にも他人にも与えないものです。けれども、ぼくは今日、ニセの恋愛ではなく本当の恋愛、つまり自分と相手との本当の幸福を育てようとする恋愛を皆さんがやっていらっしゃるなら、怯(ひる)まず恐れず「恋のかけひき」をおやりなさいと申し上げたいのです。
こう書きますと皆さんは驚かれるかも知れません。実際、普通のまともな恋愛論なら、あまり、このような「恋のかけひき」などを奨(すす)めないものです。
二人の信じあっている恋人同士に、どうして「かけひき」など必要だろう。純粋な恋愛とはおたがいの純粋な信頼感の上にたてるものではないだろうか。かけひきなどは、そうした二人の信頼を傷つけたり、ヨゴしたりするものではないか――そう一般の恋愛至上主義者の人は考えるでしょうし、また皆さまの中には同じように眉を顰める方もあるかもしれません。
にも拘らず、ぼくは皆さまに「恋のかけひき」をおやりなさいとお奨めします。何故でしょう。今日皆さまも一緒にこの問題を考えてみて下さい。
まず、一つの例からお話し申し上げていきましょう。
ぼくの女友達の中にある劇団の研究生をしているお嬢さんがいました。大変、気立てのいい人でしたが、文学少女といいますか、フランス戦後の小説などの愛読者で、特にシモーヌ・ド・ボウバールの『第二の性』に随分、共鳴していたようです。
もう四ヵ月も前から彼女がある青年と恋に落ちたという噂をぼくたちは聞きました。彼女の方がむしろその青年に夢中になったらしく、ぼくの友だちなども彼女からその青年について、随分ノロケをきかされたようでした。
二ヵ月もたたぬうちに彼女とその青年とはあるアパートで一緒に生活を始めました。勿論、結婚式を挙げたうえでの話でもないので、彼女の友だちの中には式を挙げることを奨める人もいたようですが、そんな時、
「式のような社会的な契約を私は信じないわ、私は私たちの愛情の純粋さの方を信じている」
という彼女の反撃をくったようです。
ぼくたち若い者はたがいに他人におセッカイをすることが嫌いな世代に属していますから、そう言われれば、あとは彼女の自由に委ねるより仕方がありません。
ところが、つい、この間、ぼくが耳にはさんだ噂によりますと、二人の生活はまたたくまに飽満状態にきたらしく、遂に別れてしまったとのことでした。彼女は会う人ごとに、あれほど夢中になっていた青年に、
「裏切られた。見そこなっていた」
としゃべっている様子です。失恋や別離の愚痴をきかされるほど、他人にとって迷惑な話はありません。
四ヵ月前には皆から好意を持たれていた彼女はこのころ、仲間からイササカ敬遠されている様子です。「チー子(彼女の名)の顔、随分、荒れていたよ。恋愛に失敗すると、女の顔ってあんなに荒れるのかな」と、ぼくの友人がしみじみと呟いていました・・・・・。
失敗の根本的な理由
この例を皆さまとご一緒にちょっと、考えてみましょう。ぼくたちは勿論彼女の恋愛に細部に渡ってまで、細かに知ることはできません。彼女と青年との私生活にまで、立ち入る権利はありません。
けれども、ぼくたちは彼女の恋愛の失敗の根本的な理由だけはわかることができます。その理由とは一言で言えば、節度がなかったからです。抑制がなかったからです。
早い話、恋愛に落ちて二ヵ月もたたぬうちに彼女はその青年とアパートで一緒に生活しています。一緒に生活するほどの決心をした以上、無論、彼女はその青年に心だけでなく、体の全ても与えてしまったのでありましょう。
ぼくは無論、その時の彼女の恋愛の烈しさ、真面目さ、真剣さを毫(ごう)も疑いはしません。彼女は自分たちの恋愛の純粋さを信じたのでしょうし、相手の愛情をも信じたのでしょう。そしてまた、相手の青年も本気でその時は彼女を愛したに違いないのです。
にも拘わらず、この二人の恋愛は同居生活が始まってから半年もたたぬうちに破れてしまった。それは二人が、自分たちの弱さ、というより人間の情熱の弱さということを考えなかったからであります。
倦怠や飽満感
たとえば、結婚という秩序をヌキにして二人の男女が肉体と肉体とを投げ出しあった時、感じねばならぬ孤独感、悲しさ、そしてまた、それを繰り返していく時、やがて倦怠や飽満感が襲ってくるということを毫も考えてみなかったからです。
女性はともかく、男性というものは、どんなに相手を愛していても、相手の全てを余りに早く知りすぎると、ある幻滅と失望とを感ずるようにできている存在なのです。そしてまた、余に相手から愛され過ぎると、その愛を逆に重荷に感じるものであります。
本能的なエゴィズム
勿論、すべての男性がそのようなエゴィストだとは申しません。中にはこのエゴィズムを捨てた立派な青年も稀(まれ)にはいるに違いない。けれども、それは極く稀であり、貴方たちの恋人やボーイフレンドの大半は心の底にはこのような男性の本能的なエゴィズムを持っているのです。
それがまた男性の特質である以上、ぼくたには眼をつぶったり、美化したりする権利はないのです。
とにかく彼女はおそらく相手の青年のなかにこの男性のエゴイズムを認めなかったにちがいない。
彼女はただ「愛の純粋さ、愛の信頼」という言葉に陶酔しすぎたのであります。その意味で彼女はやはり無謀だった。
情熱や恋愛を考えれば考えるほど、ぼくたちは情熱や恋愛の根底に潜んでいる矛盾や弱さや罠(わな)に気がつきます。
繰り返して書きますけれど、本当に恋愛というものは一本の綱を渡るようなものです。右足に力を入れすぎても危ない、左足に力を入れすぎても重心を喪(うしな)います。必要なのは心の均整という原則です。
不幸にして、現代でのこの恋愛における心の均整ということが、段々忘れられてきたようです。恋愛の純粋さ、情熱の強さなどという旗印をかかげて、彼女のように一本の綱を盲進していくような例が多すぎます。
だが、ぼくの女友だちはこの盲蛇に怖じずのやり方のため、かえってその恋愛を失い、恋愛に破れたわけです。
情熱の強さと同時に情熱の弱さ
もし彼女が本当にカシコイ女性であり、自分たちの恋愛を永続させ、幸福に育てていくつもりだったらなら、二ヵ月という僅かな交際だけで相手に体の全てを与えるべきではなかったでしょう。
それは決して功利的な意図からでなく、恋人のもっている男性のエゴイズムに出来るだけ刺激を与えないためであり、また人間の肉体の快楽の持つ弱さを知っているからなのです。
情熱の強さと同時に情熱の弱さを知っているからなのです。恋愛の素晴らしさと共に、恋愛のもつ色々な危険性を知っているからなのであります。
この知恵こそ、ぼくが皆さまがお持ちになるようにお奨めしてきたことなのですが、今日、ぼくが『恋のかけひき』と言うのは、この知恵を恋愛期間中、さまざまな具体的な行為で活用することにほかなりません。
たとえば――ある夜、パーティの帰り、自動車の中で彼が貴方に接吻を求めてきたとします。勿論、もし二人が本当に愛しているなら接吻は許してあげなさい。
けれども、それはあまりデートのたびごとに幾度もやりすぎると新鮮さも魅力も失うということは頭に入れておきなさい。
そして彼が求めることが多すぎれば、ヤサシク拒絶すべきです。彼は怒ったふりをするかも知れない。けれどもそれで良いのです。彼は貴方から時々接吻さえも拒絶されれば不安になり、イラだつにちがいない。だが不安や焦燥がかえって彼のあなたに対する情熱をたかめることでしょう。
まして万一、彼が貴方に肉体を求めた時は、必ず、拒絶すべきです。その理由がなぜかは先ほど申し上げた通りです。おそらく彼はウマイ理由をつけたり、あるいはスネてみせたり、あるいは怒ってみせたり、するでしょう。
「君は本当はぼくを愛していないんだ」などと言うかも知れません。けれどもそんな時、どんなに心が彼に凡てを与えてやりたくても、結婚までは拒絶をなさい。なぜなら一度、彼に体を許せば、二度、三度、許していくことになるでしょう。
貴方は彼にたやすく負けてしまうようになり、彼はまた、それを当然のように思うようになるでしょう。やがて貴方の体はもはや彼にとって新鮮さも魅力も次第に喪っていく危険があるのです。
こうした恋愛中における拒絶の知恵、節度と抑制とによって、ともすれば綱から落ちようとする自分の爪先のバランスを立て直すこと、これをぼくは「恋のかけひき」、恋の技術ともうしあげるのです。
恋のかけひき、恋の技術は決して不純なものではありません。それは情熱についての知恵に支えられたものです。そして、それは二人の恋愛をいつまでも永続させるために必要な方法でもあるのです。
差し込み文書結婚し子どもができ結婚一年目には、妻がセックスに応じようとしないという不満を持つ男性は一四パーセントにすぎないが、四年後にはその三倍の四三パーセントが不満を抱いくようになる。或いは少数の妻たちも同じ思いを募らせる場合もある。
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男性の欲情のメカニズムには常に
マスターベーションまたは、
カジュアル・セックスlあるいは、恋愛関係を願望する性癖があることから妻帯者の場合は夫婦破たんという代償を払うという場合もある。
女性の欲情のメカニズムは、数百万世代の祖先から引き継がれた女を駆り立てる性欲の発露は月経サイクルに分泌される二つのホルモン“そばにきて私に触って! 私をあなたのものにして!”と訴える一番目のエストロゲンというホルモンの仕業でもある。
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妻帯者の浮気相手となった独身女性あるいは人妻はなぜ安易に不倫に陥るのだろうか? 自分が望むような男性。或いは又は、配偶者との心地よいセックスができていないのが最大の理由かもしれない?
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つづく
初恋二つの危険